6月より毎月1回、教会学校の礼拝を午後にします。
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蕃山町教会では、
6月より毎月1回、教会学校の礼拝を午後にします。
6/26、7/31、8/28、9/25、10/30、11/
(1月は合同礼拝)
時間は基本的に午後1時30分から礼拝が始まります。
分級後のお楽しみの時間を子ども達と計画します。
岡山市北区にある1908年創立のプロテスタントの教会です。 ![]() ![]() 【 サ イ ト の ご 案 内 】
教会学校(CS)
蕃山町教会Instagramを公開しています。 蕃山町教会YouTubeで説教動画を公開しています。 【更新履歴】 ★2025年 5月25日 牧師・副牧師の紹介を更新しました。 |
ユーザー「banzan」の検索結果は以下のとおりです。
2022年6月 蕃山町教会 伝道集会と伝道礼拝のご案内です!
■伝道集会
6月8日(水)午前11時~12時
「聖書 失敗の物語」服部 修 牧師
*伝道集会は平日の午前中に開催します。
■伝道礼拝
6月19日(日)午前10時15分~12時頃
説教「向こう岸へわたろう」加藤 隆 伝道師
6月26日(日)午前10時15分~12時頃
説教「何があれば安心?」服部 修 牧師
*両日とも礼拝後、短い証(あか)しがあります。
(証しとは、神さまを信じるようになったきっかけなどのお話です)
★どなたでもどうぞお越しください★
蕃山町教会では、新型コロナウィルス感染予防対策を行っています。
詳細は教会にお問い合わせください。
(2022年5月22日)
6月5日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。「
イースター、クリスマスと並んでキリスト教にとって大切なお祝いで、イースターから50日後に祝われます(ペンテコステはギリシャ語で「50番目」という意味)。
イエスさまの昇天後、ユダヤ教の五旬祭(収穫祭)の日、人々が集まっているところに、聖霊が降りました。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ」「炎のような舌が別れ別れに現れ、一人一人の上にとどまった」と聖書に書かれています。
イエスさまは十字架の死に渡される前、ご自分の代わりに聖霊を送ることを弟子たちに約束なさいましたが、それが果たされたのです。
人々は聖霊に満たされ、自分がまったく知らない外国語で、神さまの救いのみわざについて話し始めました。エルサレムには、世界各地出身のユダヤ人が帰ってきていましたが、物音を聞きつけて集まり、神さまの偉大なみわざについて自分の出身地の言葉で話されているのを聞き、とても驚きました。そして、使徒ペトロが立ち上がって説教し、
こうして「教会が生まれた」と聖書は言っています。
これは2000年以上前の出来事ですが、
聖霊は今日も人に働きかけ、信仰へと促すのです。
(2022年5月15日 ※写真は蕃山町教会の小礼拝堂より)
前記事で、「バビロンズフォール」という新しいゲームを始めた、と書きました。
始めた理由に、ハクスラに興味があったから、と記しましたが、
実はもう一つ理由がありました。
それは、私が「エルデンリング」とどちらをするか迷っていた時、
一人の青年が私に先んじてバビロンを始めたのです。
このところ青年たちが集えず、
一人でいることが増えた彼が新しくゲームを始め、
黙々と一人でストーリーを進めている姿を見て、
妻が私に「一緒にやってあげなさいよ」と促してくれたので、
始めることになったのです。
仕事の忙しかった彼と、本当に時々でしたが一緒にプレイをし、
楽しく遊びました。
その彼が、帰らぬ人となりました。
今でも時間のある夜にバビロンズフォールで遊んでいますが、
その度に、
あいつは脳筋ゴリ押しプレイで、体力も考えずに突っ込んでいたなあ、とか、
モンハンでも溜め三攻撃を当てきれずにベースキャンプによく戻っていたなあ、とか
懐かしく思い出しています。
そのように思い出したとき、
心の中で「あの××」とつぶやきながら、
二度と一緒にプレイできない現実と向き合い、その現実を受け止めています。
いつかは、どういう形であれ、別れの日が来ることは分かっていましたし、
その覚悟があるから、可能な限りの時間、
皆で楽しい時間を過ごしたいと願っているのですが、
彼の場合にはあまりにも突然でした。
しかしそれでもこの現実を生きる、と覚悟したとき、
彼と、
これから作れたであろうはずのたくさんの思い出作りが失われた寂しさはありますが、
これまでにもたくさんの楽しい思い出をもらった恵みも思い出せます。
そして「生きている」という事実が
いかに貴く、重く、脆く、奇跡であるのかを実感しています。
彼との思い出作りはもうできなくなりました。
でもすべての思い出作りが失われたわけではありません。
これからは、彼がいない、という現実込みの思い出作りに生きようと思っています。
(2022年5月11日)
キリスト教の教えの中で、最も不可解と思われるのが、(復活節)かもしれません。十字架にかけられ死なれたイエスさまが、三日目に死者の中から復活された。死んでいた人間が復活した?と誰もが驚きます。 実は聖書にもその驚きが記されています。しかし、復活の最初の目撃者たちが、人々の批判も恐れず、イエスさまは死者の中から復活されたと証言し続け、またその後、イエスさまも多くの人々に復活のお姿を示してくださり、人々は復活を信じ、人間の命が死で終わるのではなく、永遠の命によみがえるのだとの希望をいただきました。イエスさまの復活は、死によっても失われない喜びの中に生かされるという慰めを、死ぬべき人間にもたらしてくださいました。死人が復活するなんて、、、と思われるかもしれません。でも、教会は2000年にわたって、イエスさまは死者の中から復活されたと語り続けてきました。そして死が支配する世にあって、死を越えた命の希望にイエスさまの復活を信じるとき、生きることができると証言し続けてきました。それでも不思議だなあと思われるかもしれませんが、一緒にイースター(復活節)をお祝いしていただければなと願っています。
受難週は、イースター(復活節)前の日曜日から始まります。イエスさまがロバに乗ってエルサレムに入城された際に、迎え出た群衆が棕櫚の葉を振って迎え入れたことから、 この日を「棕櫚の主日」と表現します。
その週の木曜日は、イエスさまが最後の晩餐をなされた日であり、先立って弟子たちの足を洗われたことから 「洗足木曜日」と呼ばれることもあります。
そして、金曜日はイエスさまが十字架にかけられた日として 「受苦日」もしくは「聖金曜日」と呼び、イエスさまの十字架上でのお苦しみに思いをはせます。そして、イースターを待ち望みます。
受難週は、イエスさまのお苦しみを想起しながらの一週間となります。私たちの教会では、月曜日から水曜日まで早天祈祷会を行います。
また、「洗足木曜日」には、教会によっては聖餐式を行ったり、実際に司式者が足を洗ったりすることもあります。私たちの教会では、祈祷会と聖餐式を行っています。
また私たちの教会では「受難週」と呼んでいますが、教派によっては異なる呼称を用いる場合がありますが、イエスさまのお苦しみを思い起こす一週間という点では変わりはありません。
私たちの罪のために苦しみをお引き受けくださったイエスさまの愛に感謝しながら、共に受難週を歩んでいただけたらと願っています。
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2022年は、4月10日から受難週です。
(画像は http://dominica.jp/bbs/?p=2974 よりお借りしました)