日本キリスト教団 蕃山町教会ホームページ

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カテゴリー「牧師室より」の検索結果は以下のとおりです。

信仰生活は「死にゲー」?

ゲームのジャンルの一つに「死にゲー」と呼ばれるジャンルがあります。

その名の通り「死にゲー」なのでゲーム中では何度も落命するのですが、繰り返している間にクリアできるようになります。その達成感が面白さの一つです。

「死にゲー」をしていると、傍で見ている妻からも「画面見るたび死んでいるよね」とか「また同じ失敗繰り返しているよね」とか言われますし、自分でも、本当に勝てるのだろうかと不安になります。それでも諦めずに繰り返していると何となくパターンが見えてきて、動画サイトに投稿されるようなノーダメ撃破には遠く及びませんが、最終的にかろうじて勝つことができます。

そんなことを繰り返しながらふと思いついたのは、不適切な表現かもしれませんが「信仰生活、死にゲー論」という言葉。信仰生活も成功ばかりではなくて、むしろ失敗の連続。でも失敗するたびに赦され、生き返って何度も立ち上がる。しかも同じ失敗を繰り返しながらそれでも成長していく。そして死にゲーは繰り返しプレイしなければ決して上達しないように、しかし繰り返しプレイするから勝ち筋が見えてくるように、信仰生活も失敗の連続の中に成長があるのだということを実感します。だから失敗を繰り返さずに信仰生活を放棄するのはもったいないなあ、とか、失敗を放置して赦しに身を委ねないまま信仰生活を放棄するのももったいないなあ、も思います。あらためて、何度も立ち上がらせてくださるイエスさまの赦しに感謝して、赦してくださるイエスさまにこれからも従い続けたいと願うのです。

このように、信仰生活は死にゲーのようなものだと感じるのですが、皆さまはどう思われるでしょうか。

(2025年1月31日)

蕃山町教会アヴァロン部を立ち上げました!

蕃山町教会アヴァロン部を立ち上げました。

これは、コロナからの回復期にあって、教会が元気になるための一つの手段になれば、と願って思いついた集まりです。礼拝に集まった大人たちの楽しみの場があってもいいんじゃないか。遊ぶのは子どもだけの特権ではなく、大人も楽しもう、というコンセプトで始めました。基本的には単純なボードゲーム、カードゲームを中心に礼拝後、遊びながら交わりのときとしたいと考えています。

難しそう、とは思わず、参加してみてください。あるいはみんなが遊んでいるのをそばで見ているだけでも楽しいと思います。試行錯誤しながら、楽しい会にしたいと考えています。

開催の予定は、教会玄関風除室の掲示板に掲示しています。みんなで教会を盛り上げていきましょう。

ちなみに、私のインスタグラムにもボードゲーム紹介を載せています。

 

(2024年7月6日)

ブルース・リーの名言から

過日の説教の中でブルース・リーの名言を紹介しました。説教中では日本語にしましたが原文は以下の通り。 I fear not the man who has practiced 10,000 kicks once, but I fear the man who has practiced one kick 10,000 times. 礼拝後青年たちが、礼拝は一生かけても1万回には届かない、みたいな会話をしていてちょっと嬉しくなりました。計算上で言えば、年間52回の礼拝を100年続けても5,200回で、約半分。1万回は遠いなぁと思わされます。 前任地で講師を招いて修養会を行った際、ある方が講師の先生にこう尋ねました。 「自分は仕事の都合上、月に2回しか礼拝に来ることができないのだが、それでも良いだろうか」と。 先生はこう答えられました。「月2回礼拝に来るというだけでも労苦されていることは分かりますし、その労苦に敬意を払います。しかしあえて言います。2回より3回、3回より4回、そして休まず礼拝に来るほうが恵みと祝福は大きいということだけは忘れないでください」と。 最近、本当に偶然ですがYouTube動画で「もしもヘタクソがキックを100万回練習したら?」という動画がおススメにあがってきたので見てみました。10分足らずの短い動画ですが動画の最初と最後のほうで明らかにシュートの精度が上達しているのが分かります。変わっていないようでも続ければ変わっていくということを痛感させられます。 そんなことから信仰生活もそうありたいと思わされた次第です。 ゲーテはこう語ったそうです。「急がずに、だが休まずに。」

 

(2023年7月30日)

偏光サングラス

夏が近くなりました。 中学生の頃から日差しのまぶしさが苦手でしたが、 偏光サングラスに出会ってから一変しました。 御存知の方も多いと思いますが、まぶしくないのによく見えるのです。 夏になって日差しが強くなり始めると、 この感動を伝えるべく、色々な人に偏光サングラスの良さを話しています。 ある青年には実際に私の偏光サングラスを貸してその良さを実感してもらったところ、 彼は偏光サングラスにはまってくれました。 これから、偏光サングラス仲間を増やしたいと思っています。 偏光サングラスは貸してあげるなどして体験してもらえるので その良さを実感してもらいやすいですが、 伝道は、救いの喜びを貸してあげることができないところが難しさなのだな、と 思わされています。 ともあれ、偏光サングラス、良いですよ。 そしてそれ以上に、救われて生きるのは、もっと良いですよ。 知らないなんて、もったいない。  


(2023年6月11日)

インスタグラム始めます

教会でもたくさんの人たちに教会を知ってもらおうと

様々なSNSを活用すべく悪戦苦闘していますが、

この度、インスタグラムを始めることになりました。

具体的な運用はこれから伝道師と相談しながら決めていこうと考えていますが、

とりあえずインスタライブを、生放送にするか切抜きにするかで始めよう、

ということになりました。

基本的には第3金曜日、もしくは第3土曜日の夜にアップしたいと考えています。

もしかしたらゲリラ配信もあるかもしれません。

伝道師と二人で、ざっくばらんに、時には危ない発言もあるかもしれませんが、

続けることができたら良いなと思っています。

 

興味のある方は視聴ください。

そして、拡散よろしくお願いいたします。

 

3月7日追記

こちらから蕃山町教会インスタグラムのページに行くことが出来ます。
ぜひフォローをお願いいたします。

蕃山町教会(@banzancho) • Instagram写真と動画

(2023年3月1日)

アマツマシミズ

ある日の礼拝後に、青年から「あまつましみず」ってどういう意味ですか?

と尋ねられた。

その日の礼拝で歌われた讃美歌の一節。

 

「アマツ」「マシミズ」で、

「アマツ」は「天の」とか「天からの」の意味。

モンハンのモンスターに「アマツマガツチ」ってのがいるけれど、

その「アマツ」と同じ。

「マシミズ」は「真の清い水」の意味。

ヨハネにある、イエスさまとサマリアの女の会話がモチーフ、と説明。

 

「ああ、そうなんだ」との返事の後に

「マシミズ」って「増し」「水」だと思っていた、と。

なるほど、音だけ聞けば、そう変換できるよな、と思いつつ、

意味を分からずに讃美歌を歌うのは難しいよなあ、と実感。

 

讃美歌の歌詞が難しいことに対して、

歌詞が分からなければ意味を学べば良い、とか、

意味を学んでから歌えば良く分かる、と言われることがある。

それはその通りだし、歌詞を学ぶのは大事なのだが、

そもそも耳にした時点で意味が分からず、

しかも興味を持たなかったら

「学んで知る」ということからはじき出される。

例えるなら、初音ミクなどのようなボカロを知らない世代の人に、

ボカロ一緒に歌おうよ、と誘っても、

「わたしはちょっと」となるケースが多いと思われるが、これと同じ感覚かも。

 

私自身は、古い歌詞に親しみを覚える世代ではあるが、

「アマツマシミズ」って?と青年から問われて、

讃美歌の歌詞を「意味が理解できない呪文」にしてしまわないようにしたいなあ、

ということを考えさせられた。

 

(2022年7月23日)

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