前記事で、「バビロンズフォール」という新しいゲームを始めた、と書きました。
始めた理由に、ハクスラに興味があったから、と記しましたが、
実はもう一つ理由がありました。
それは、私が「エルデンリング」とどちらをするか迷っていた時、
一人の青年が私に先んじてバビロンを始めたのです。
このところ青年たちが集えず、
一人でいることが増えた彼が新しくゲームを始め、
黙々と一人でストーリーを進めている姿を見て、
妻が私に「一緒にやってあげなさいよ」と促してくれたので、
始めることになったのです。
仕事の忙しかった彼と、本当に時々でしたが一緒にプレイをし、
楽しく遊びました。
その彼が、帰らぬ人となりました。
今でも時間のある夜にバビロンズフォールで遊んでいますが、
その度に、
あいつは脳筋ゴリ押しプレイで、体力も考えずに突っ込んでいたなあ、とか、
モンハンでも溜め三攻撃を当てきれずにベースキャンプによく戻っていたなあ、とか
懐かしく思い出しています。
そのように思い出したとき、
心の中で「あの××」とつぶやきながら、
二度と一緒にプレイできない現実と向き合い、その現実を受け止めています。
いつかは、どういう形であれ、別れの日が来ることは分かっていましたし、
その覚悟があるから、可能な限りの時間、
皆で楽しい時間を過ごしたいと願っているのですが、
彼の場合にはあまりにも突然でした。
しかしそれでもこの現実を生きる、と覚悟したとき、
彼と、
これから作れたであろうはずのたくさんの思い出作りが失われた寂しさはありますが、
これまでにもたくさんの楽しい思い出をもらった恵みも思い出せます。
そして「生きている」という事実が
いかに貴く、重く、脆く、奇跡であるのかを実感しています。
彼との思い出作りはもうできなくなりました。
でもすべての思い出作りが失われたわけではありません。
これからは、彼がいない、という現実込みの思い出作りに生きようと思っています。
(2022年5月11日)