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信仰生活は「死にゲー」?

ゲームのジャンルの一つに「死にゲー」と呼ばれるジャンルがあります。

その名の通り「死にゲー」なのでゲーム中では何度も落命するのですが、繰り返している間にクリアできるようになります。その達成感が面白さの一つです。

「死にゲー」をしていると、傍で見ている妻からも「画面見るたび死んでいるよね」とか「また同じ失敗繰り返しているよね」とか言われますし、自分でも、本当に勝てるのだろうかと不安になります。それでも諦めずに繰り返していると何となくパターンが見えてきて、動画サイトに投稿されるようなノーダメ撃破には遠く及びませんが、最終的にかろうじて勝つことができます。

そんなことを繰り返しながらふと思いついたのは、不適切な表現かもしれませんが「信仰生活、死にゲー論」という言葉。信仰生活も成功ばかりではなくて、むしろ失敗の連続。でも失敗するたびに赦され、生き返って何度も立ち上がる。しかも同じ失敗を繰り返しながらそれでも成長していく。そして死にゲーは繰り返しプレイしなければ決して上達しないように、しかし繰り返しプレイするから勝ち筋が見えてくるように、信仰生活も失敗の連続の中に成長があるのだということを実感します。だから失敗を繰り返さずに信仰生活を放棄するのはもったいないなあ、とか、失敗を放置して赦しに身を委ねないまま信仰生活を放棄するのももったいないなあ、も思います。あらためて、何度も立ち上がらせてくださるイエスさまの赦しに感謝して、赦してくださるイエスさまにこれからも従い続けたいと願うのです。

このように、信仰生活は死にゲーのようなものだと感じるのですが、皆さまはどう思われるでしょうか。

(2025年1月31日)

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